ふわふわといったりきたり

60代無職おひとりさま女性のひとりごと

三日坊主どころか

三日も続かない。
毎日ちゃんと書いてる人はすごいな。
日記を書けばいいと思ったものの、特に書くべきことがないのも続かない理由です。
ぐうたらな生活をしているので、外出といえば日々の買い物と通院がほぼすべて。
こうなるとどうしても昔の話しか引っ張り出せるものがないのです。
そして書くとどんどん長くなり、途中で飽きる。この繰り返しです。



比較的最近の昔の話。
先月のことです。
ネットの記事を見てびっくり。
「ピクニック アット ハンギングロック」という映画が約40年ぶりに再上映されることになったとあります。
私この映画見ています。
約40年ぶりと言われると、え、本当にそんなに昔だったのと首を傾げてしまいます。
検索すると日本では1986年に公開されたとのこと。
うーんそうか。
1986年か。確かに見たのはその頃だな。そうか、もう40年近く経っているわけかとなぜか笑顔になってしまいます。笑うしかない。40年!
この映画だけでなく「デジャヴュ」という映画も再上映とあります。これも見ましたわ。覚えています。
一体何で今頃になって再上映ということになっているのでしょう。
映画の話が出来る友人に連絡すると、友人も何故今頃再上映するのかな返してきました。やっぱりそう思いますよね。謎だ。



映画はこの友人と一緒に見たようなそうでないような……。
昔の記憶ほど鮮明とかいうけれど、私の記憶はそうでもありません。
ともかくこの友人とは40年前には知り合っているのは確かなことです。40年か……うわあ。

40年前……。数字を見ると結構な長さです。

例えば私の生まれた年から40年さかのぼると年号でいったら大正時代です。
大正時代と聞くと私などかなりの大昔だと思ってしまいます。
となると令和の今からすれば昭和が、例えそれが昭和60年代あたりとしても40年前ともなれば大昔と表現されてもおかしくないでしょう。
つまるところ私は長く生きているんだとうことを改めて思い知らされました。


さてこの映画、どういう人が見るのでしょうね。
私のようなかつて見たことのある人が多いのかしら。
10代20代といった若い人達は興味を持つでしょうか。



「ピクニック アット ハンギングロック」は日本公開年は1986年ですが、制作されたのは1975年。実に半世紀前に作られた映画です。
かなり古い映画といえるでしょう。

ちなみに黒澤明の「七人の侍」が公開されたのが1954年。
今から70年前です。
1986年の時点なら32年前。
当時の私はかなり古い映画と思っていました。
それはまだ20年ほどしか生きていなかった者の時間感覚だったのでしょう。傲慢ともいうような自分基準だけの感覚。
そして60年以上生きた今ではもう半分ぼけてますから、この前といったらそれは10年前のことだったというような時間感覚になっています。こわいことです。
これは当時の私には想像できなかったな。



再上映ということでひとつ思い出しました。
「2001年宇宙の旅」というSF映画があります。
公開は1962年。生まれた頃の映画です。
中学生の頃から見たいなと思っておりました。
すると幸運なことに高校生の時に再上映があったのです。
ウキウキと出かけていきました。
丁度模試の日だったのですが、模試は口実のようなものでちゃんと受けたけどもうどうでもよかった。
映画館の大きなスクリーンを見つめるうちにふわふわと浮かぶような感覚を覚えました。
あの浮遊感は他の映画では感じたことがありません。
見たい見たいと長く妄想していたので、感激のあまりちょっとおかしくなっていたのでしょうね。



20世紀の末だったか21世紀の幕開けの時だったか、この映画がまた再上映されているのを知りました。
まさにその時見るにふさわしいタイトルの映画ですものね。
見に行きたかったけど残念ながら都合がつきませんでした。
死ぬまでにもう一度映画館で見たい作品のひとつです。
叶うかな。気がついたら死んでいるかもしれないという年代になっていますからさてどうなることやら。

ある日の夢

下書きが消える問題。
消えたものはもうあきらめたのですが、
思い出しやすいことを書いておけばいいのだと気付きました。
例えば日記。
なぜこんな簡単なことに気付かなかったのか。
それは私に日記を書く習慣が無いからなのです。
日記なら下書き保存に失敗しても何か思い出して書くことがありそうです。
書いておきたいことが多少違ってもいい。
画面を睨んで考え込んでいるよりはずっとましです。



ところで一つ前の記事に学生時代の試験のことを書きましたが、
あれはその日見た夢が影響しているようです。
夢の内容ははっきりとは覚えていません。
何か試験のようなものがあった気がします。
この歳になっても試験とか宿題とかレポートとかの夢を見ることがあります。
科目はたいてい物理や数学です。
どうやら私は高校生のようですが、教室ではなく図書館の自習室ような所や、なぜか働いていた会社の事務所のような所で勉強していることもあります。
物理の問題について同級生と覚しき誰かがずっと説明してくれているのですが、さっぱりわからなくて困惑していたり、数学の問題を解いているのですが、どれもこれも全く見たことの無いものでどうしていいやら困り果てていたりします。
時間も無いしこれが解けないとまずいなと焦りばかりがつのり、どうしてこんなにわからないのだろうと不思議に思っているうちに目が覚めます。
あまり面白くない夢です。
その場面しか思い出せないので前後があるかどうかは不明です。
高校生の頃にそこまで追い詰められたことは無いはずなので、解けなかった問題の記憶が膨らんで夢になっているのでしょうか。
一度くらい問題が全部解けた夢を見たいものです。

なぜ消える

下書きを保存したはずなのに消えている……
これは初心者にありがちなことなのかしら。
そうではなくて私の操作ミスか思い込みか何かなんでしょう。
すでに数回やっているので、うかつなんて言葉ではすませられない。
あると思っていたものが無いとちょっとがっかりします。
そこでがっかりしたまま、他のことをしていると眠くなったので寝てしまい、
結局ほったらかしになってしまうのでした。
パソコン画面を睨みつけていても書いたことが思い出せない。
情けないなあ。


今ふと思い出したのはゆうべ書いていたことではなく、はるか学生時代の試験のこと。
その試験では記述問題について何をどう書けばいいのかあらかじめ示されていました。
単位がとれない学生のための救済措置ともいうべきものです。
なにしろ4年生なのでこの科目を落とすと卒業できない人もいます。
どうして4年になるまでに取っておかないのかなんて言ってる場合ではない。
とにかくぎりぎりでいいから試験に受からないといけないのです。
私は幸いこの科目はとれていたのですが、時間が空いていたのでその授業を受けておりました。
すでに取れているとはいえ試験はそれこそぎりぎりでいいから通るようにしなければなりません。
記述問題はどう書くか。
その時読んでいた本の一説を冒頭に引用して記述を展開していくことにしました。
ネタにするために読んでいた本ではないのですが、うまく当てはまるような気がしたのです。
そして試験当日、書いていると先生が突然「はい、そこまで」と試験終了を宣言されたのです。そして「全員追試」となりました。
あまりにも記述が進んでいない学生が多いので、もう一度チャンスを与えようということでした。素晴らしき救済措置。問題は同じですからね。
しかし私は不満でした。なぜか同じ文章を書くのでは芸が無いと思ったのです。
今日書いたものよりもっとうまく展開ができるようなネタを探さなくては!
けれど一週間では見つかりませんでした。
前回と同じものは書かず、必要と思われるものをざっと書いて提出しました。
私はこの追試で受かりましたが、受からない人達はさらに何回か追試の追試を受けて最終的には全員単位はとれました。
救済措置とはいえ、ここまでサボっていた学生を一回や二回の追試で通すほど先生も甘くなかったということです。
試験後に先生に私の書いた答案は最初のものの方がよかったのではと尋ねました。
先生は最初の方がよかったとおっしゃったので、ああやっぱりそうだなと落ち込みました。
済んだことなのに確認を取ってしまう私の性格はかなり執念深いというかしつこいというか、よっぽど悔しかったのでしょうね。
すでに単位のとれている科目なのにどうしてそこまでこだわっていたのか。
その気力をもっと他のものにふりむけておくべきでしたね。
もっと勉強しておけばよかった。
あの頃は勉強さえしていればよかったのですから、それをちゃんと分かっていなかったのはもったいないことです。


ここまで書いてもやはり何も思い出せないままです。
今日はもうあきらめましょう。